米統治により、沖縄は近代化されたことを忘れてはダメ

じんじん618

2013年05月20日 06:18

沖縄の反日メディアや社民、社大、共産などの左翼政治家は
「沖縄は常に切り捨てられてきた」と、勘違いな物言いをして
いますが、善良な沖縄県民はこれらの連中の口車に乗せ
られて、「琉球独立」なんて奇天烈なことを考えてはいけない
のであります。

“屈辱の日”なんて言葉も捏造していますが、この屈辱である
はずのサンフランシスコ講和条約を祝って当時「うるま新報」
という紙名だった琉球新報が「琉球新報」と改名していたん
ですから、なんといういい加減な連中なのでしょうか!?

米軍統治下に入る前の沖縄の貧しさは半端ない。疫病は
はびこり、ユタなど呪術的な社会を営み、靴もなく裸足で
生活し、食べるものと言えば、芋やソテツだったのです。

その貧しさに驚いた米国は、靴を配給したり、カリフォルニア
の米を食べさせました。(当時は加州米って言ってましたよ)
そのおかげで沖縄では一気に寿命が延びることとなり、
その後、全国一の長寿県にもなりました。

1945年、終戦により沖縄を統治し始めた米国民政府は、
また沖縄全域に、総合病院3箇所、地区病院5箇所、診療所を
150箇所建設し、沖縄人の健康に貢献。(ちなみに診療費は
無料だったそうです)
8月には、米軍は児童用に教科書を作成して発行(当時は
ガリ版刷り)しました。また、沖縄の文化財収集と保護を開始
しています。

翌年4月には、米軍が沖縄各地に小中学校を建設し、授業を
行わせています。当然日本語で授業させたことを忘れては
いけません。(これがシナやロシアだったら日本語やうちなー口
は禁止されていたであろうことは想像に難くありません)

同時期に琉球政府を創立し、今の沖縄県庁の基になっている
わけです。そして5月には、米軍は沖縄本島中部の越来村に、
「沖縄中央病院」を設置し、同時に付属看護学校を創設して
いるんですよ。(現在の沖縄市中央にありました)

(ちなみに私はこの病院でこの世に生を受けました)

これによって沖縄の医療水準は一気に向上し、予防接種など
も実施されるようになったことも記憶に留めておいてほしい
と思います。

1948年5月には琉球銀行(Bank of Ryukyus)を創設。
1950年5月、米民政府は琉球大学を創設。
1953年5月、牧港発電所が建設され、それまで200キロワット
だったのが、46,000キロワットの電力供給を可能にしました。

まだ他にもありますが、左翼の連中は文句ばかり言って、
こうしたアメリカ軍政権による功績についてはまったく触れる
ことは無く、いつまで経っても『米軍出て行け!』ばっかりで、
本当に頭にきます。

日本人だったら少しは“有難い”と感謝することも忘れては
いけないと思うのです。 (沖縄左翼はまるで南朝鮮みたい)

もう一度言いますが“屈辱の日”などまったくの捏造で、
当時は米軍にエールを送っていたことを知っていただき
たいと思いますし、米軍の統治によって沖縄は近代化された
という事実を、終戦直後を知らない若い世代には是非知って
ほしいと思っております。


     

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